久留米絣は、江戸時代後期、現在の福岡県久留米市で生を受けた、井上 伝(いのうえでん)という当時12才の少女のインスピレーションから生まれました。
伝はある日、着古した藍染めに白い斑紋を見つけ、後の久留米絣の元となる技法をひらめいたと伝えられております。その後も精力的に工夫を重ね、普及活動を続け、15歳の頃に20数人の弟子がいたそうです。
さらに1839年大場太蔵が、絵や文字を自在に表現しようと工夫を重ね、1844年頃には牛島ノシが久留米絣の代表的柄とされる小紋を考案し今日に至っております。
先染めの木綿である久留米絣は、完成までに約30工程にも及ぶ作業を有します。今もそのほとんどは手作業で行われており、その一つ一つの工程に熟練した経験と技を必要とします。
反物は巾37〜38cm、長さ12m。縦糸と緯糸が織り成す紋様は精巧さを極め、美しく、木綿ならではの素朴な風合いがあり、いにしえのロマンを物語る逸品です。